「新茶雑談」(平成20年6月10日更新)

早いもので6月が始まった。
平成20年も折り返し地点を迎えた。
夏も近づく「八十八夜」も過ぎ、朝の散歩を終えて、乾いたのどを潤す新茶が楽しい季節となった。
中国四川の大地震
中国四川の大地震による死者は、すでに6万8千人を越え、2次災害による被害が、さらに心配されている。私が所属している田園調布ロータリークラブでも、少しでも役に立つことが出来ないか、例会で隣りあわせた先輩と話しあった。
運動会
6月1日は息子の運動会があった。前日の大雨で校庭の状況が心配されたが、第27回運動会は、グランドの水はけの良さで無事行われた。 「北京にむかって全力疾走」短距離走のスローガンにも、いよいよ北京オリンピックが近づいたことを思わせる。
6月4日、東京は2016年のオリンピック開催都市として1次選考を1位で通過した。都内各地で行われるイベントに、オリンピックブースが設けられ、私たち招致議員連盟のメンバーも積極的にPR活動を展開する。
地球を救うために、私たちは何をしなければならないのか
さて、大自然の猛威は、時に人間を窮地に陥らせるが、五穀豊穣の恵みを与えてくれる大地ともなる。私は「お天道さま」に生かされている、という大自然に対する畏敬の念をもつ。今、地球を救うために、私たちは何をしなければならないのか。私たち1人ひとりに何が出来るのか、行動に移さねばならない。
6月3日に告示される東京都議会第2回定例会に、大規模事業所の二酸化炭素排出削減を全国で初めて義務づける環境確保条例改正案が提出される。
企業や事務所の削減「義務」と「責任」が大切であり、東京都が国に先駆けて、それを促す仕組みをつくることは画期的だが、私たち1人ひとりの行動にかかっていることは言うまでもない。
大森法人会が取り組み、会員に働きかけている「もったいない・MOTTAINAI運動」は素晴らしい。MOTTAINAIバッグの愛用、使わない電気はこまめに消す、車の利用を減らす、など身近に出来ることを確実に実行するかが問われている。
6月12日、昨年私がPTA会長をつとめた大森東小学校の「大森東農園」で、6年生と5年生が田植えをする。MOA法人自然農法文化事業団の方々に指導をお願いする。
素足になって、田んぼに入り、土の感触を知り、泥だらけになって農作業を体験する。秋の収穫が楽しみだ。そして、町内のお米屋さんに精米してもらい、6年生の卒業記念として、給食で食べることとなる。「いただきます」という、命の源をいただくという、本来の意味を子供たちに知ってほしい。
収穫まで、私も朝の散歩の道すがら、稲穂の成長を見守っていきたい。
佐伯祐三展
過日、横浜のそごう美術館に、佐伯祐三展を妻と観に行って来た。
今年は佐伯がパリで30歳の短い生涯を閉じてから、ちょうど80年目になる。
「郵便配達夫」「ロシアの少女」など代表作や、日本への留学と表した、佐伯が、古い日本の山水画と宗教画を見るために一時帰国時に制作した、自宅周辺の「下落合風景」や、生まれ故郷の大阪で描いた「滞船」など未紹介作品を加えた約90点の作品は、まさに「鮮烈なる生涯」そのものであり、久しぶりに感動を覚える“時”をもつことができた。
1942年初夏、はじめてフランスに渡った佐伯は、友人の里見勝蔵と憧れのブラマンクを、自宅のオーヴェル・シュル・オワーズに訪ねる。
パリに来てから描いた「裸婦」に感想を求めた祐三は、ブラマンクに「アカデミック!」と、怒号とともに一喝される。その「批判」の陰には「物質感はナマクラだが、大変優れた色彩家」であることを、そして祐三の天才的な素養をブラマンクは見抜いていたに違いない。
佐伯は、自分の甘さに気づき、虚飾を捨て、ブラマンクが写生地としていたパリの北西部であるオーヴェール、ネル・ラ・ヴァレ、オニーなどの風景を描き、そこから湧き起こる自己の感情を直に投影させ、制作に没頭することとなる。
その後、モンパルナス駅の南、リュ・デュ・シャトーにアトリエを構え、次々とパリの下町風景を描くようになる。佐伯を代表するパリ市内の街並み、「レストラン」「街角の広告」「新聞屋」「パリの裏通り」など4ヶ月に100点以上という作品を制作していくこととなる。
寒中、写生に集中する佐伯の姿は鬼気迫る雰囲気であったという。趣味のバイオリンや音楽会へも足を運び、充実した生活を送る反面、連日の屋外での写生は、元来、病弱な佐伯の身体と神経をも徐々に蝕んでいく。寒中の雨で風邪をこじらせ、結核を再発した佐伯は、自殺未遂を図る。1928年(S.3年)パリ郊外の精神病院に入院するが、8月16日、誰にも看取られることもなく死去する。享年30年。天才は、あわただしく、あまりにも短い生涯を閉じたのである。
私は、彼の作品「新聞屋」の前で立ち止まる。新聞や雑誌が、幾重にも積み重ねられた店先、そこには佐伯の特徴である「文字」が踊っている。その反面、店の奥は暗く、佐伯の心の闇を表しているように思える。
闇の中から店先の自転車に飛び乗って出かけていく店員が現れる予感がする。そこには、パイプをくゆらす店主の姿が、私には見える。
まっ黒な闇の中に息づく生活のエネルギーを私は感じとる。パリのモノトーンな街並みの中に躍動する人物の息づかいを感じることができる。そこに佐伯祐三の絵画の魅力があり、魅せられるのである。
きっと、佐伯にとって、ブラマンクとの出合いが人生を変えたに違いない。
私にとって、その出合いは、石原慎太郎現知事である。
23才。まだ日本大学雄弁会の学生だった私は、作家 石原慎太郎の1人のファンであり、縁あって、学生秘書となった。鞄持ちをしたある日、車の中で、石原先生は「君は将来、政治家になりたいそうだが、何をしたいのか」と助手席に座る私に問うた。「私が住むこの町を、もっと住みやすい街に変えたい」と私は答えた。石原先生は「日本を、どう変えたいのか」と問い直した。私は、自分の無学と、自分自身があまりにも小さいことに思わず恥ずかしくなった。
又、ある時、「日本を動かしているのは、ほんの数パーセントの人間だ。そうなるよう努力しなさい」と言われたことがあった。日本を動かす政治家になれと教えてくださったと思う。私にとって人間石原慎太郎は畏敬の存在である。
人それぞれに出合いがある。「一期一会」それを生かせるかは、自分自身である。










